篠原涼子の旦那さんとの馴れ初めは不倫からの離婚!?歌手時代の貴重な情報も!

アラフォー女優として輝きを放ち続ける篠原涼子さん。

出典:http://www.crank-in.net/person/

その篠原涼子さんの旦那さんが俳優の「市村正親」さんであることを知っている方も知らない方も、篠原涼子さんとの馴れ初めについては知らないという方が多いのではないでしょうか?

今回は、篠原涼子さんの旦那さんである市村正親さんは離婚歴があり、篠原涼子さんとは不倫関係だったのか?という情報について調べてみました。

でも実は、篠原涼子さんの愛と思いが感じられる馴れ初めになっているんですよ。旦那さんと出会うまでの歌手時代の情報についてもお伝えしていきます。

ではさっそく見ていきましょう!

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篠原涼子と市村正親との馴れ初め

市村正親と篠原涼子との出会いは2001年。蜷川幸雄演出の舞台「ハムレット」での共演がきっかけでした。

映画やドラマの共演を機に結婚するカップルは数多くありますが、なんと北川景子さんとDAIGOさんもそのうちの一組。

お二人の出会いはドラマの共演でしたが(「LADY〜最後の犯罪プロファイル〜」)、篠原涼子さんと市村正親さんの結婚もそれに負けじと劣らずのインパクトがありました。

なんといってもビックリなのが年の差24歳と親子関係でもおかしくない年齢差。どういった経緯でお二人は結婚に至ったのでしょうか?

舞台に本格挑戦する篠原涼子の精神的支柱に

今でこそ女優として確固たる地位を築いた篠原涼子さんですが、市村正親さんと出会った2001年当時は女優活動のキャリアも浅く、本格的な舞台は初挑戦だったのです。(篠原涼子さんのこれまでについては記事の後半をご覧ください)

脚本、舞台、キャストなどを変えながらロングランヒットを続けている蜷川幸雄さん演出のハムレットですが、劇団四季に所属していた市村正親さんにとっては舞台はお手の物。

おそらく当初は大ベテランと駆け出し女優といった立場ですから、先輩後輩の間柄だったでしょうが、舞台での稽古を重ねていくうちにお互い惹かれ合い、篠原涼子さんの精神的支柱となっていったのではないでしょうか。

篠原涼子の旦那さん、市村正親について

市村正親さんは前述のとおり、劇団四季出身の舞台俳優。「オペラ座の怪人」「ハムレット」など超有名な舞台で主役として活躍し、各演劇賞を総ナメ。さらに芸術の功績を称える「紫綬褒章」も受賞。日本を代表する舞台俳優となりました。

舞台俳優としてのキャリアだけではなく、ナレーションやTVドラマ・映画などでも活躍。現在は事務所をホリプロに移しており、舞台にドラマ・映画と引っ張りだこです。そんな市村正親さんのプロフィールを見ていきましょう!

パーマをかけた髪型がトレードマークで、映画「テルマエロマエ」に出演した際は、古代ローマ人の役にピッタリはまるほどの存在感。けれども子煩悩でお茶目な一面をもっています。

出典:http://cinema.pia.co.jp/

俳優として、一人の人間としても魅力的な市村正親さんですが、篠原涼子さんとは24歳の年齢差。出会いから結婚に至るまではさまざまな困難が考えられますね。

篠原涼子と市村正親は不倫関係だった!?

篠原涼子さんと市村正親さんと出会った2001年、市村正親さんには「劇団四季」に所属していた時期に知り合った奥さん(八重沢真美さん)がいました。2002年にその奥さんとは別居、2003年に離婚が成立します。

市村正親さんに当時奥さんがいたというのは驚きですね。これって不倫なの?って勘ぐってしまいます。。。

気になる市村正親さんの離婚理由ですが、「妻が十数年ぶりに劇団四季の舞台に出演するため仕事を優先する」というもの。これだけでは、言い方は悪いですが略奪不倫からの離婚なのか区切りをつけた後腐れのない離婚なのかどうかはわかりません。

現在芸能ニュースを賑わしている不倫問題。ただ、不倫だったという報道は出なかったこと、そして篠原涼子さんのイメージが落ちなかったどころか、むしろこの旦那さんとの出会いを機に女優としての評価は急上昇したところから、トラブルとなるような問題は起きなかったと予想できるのではないでしょうか。

結婚は前途多難、篠原涼子さんの父親の猛反対

しかし、市村正親さんと篠原涼子さんとの結婚は前途多難だったよう。

それもそのはずです。不倫に近い形だったということもありますが、何しろ篠原涼子さんと市村正親さんとの年齢差は24歳。
篠原涼子さんの父親が、結婚に猛反対したようです。

  • やさしくしてくれた一時の感情に任せて結婚して、失敗するのではないか?
  • 旦那さんが先に病気などで亡くなってしまい、ひとり淋しい思いをするのではないか?
  • 世代が離れていて、一緒に生活すると合わなくなってしまうのではないか?

私が篠原涼子さんのお父さんだったとしたら、こんなことを考えてしまうでしょう。

しかも調べてみると、篠原涼子さんのお父さん、奥さん(篠原涼子さんのお母さん)を早くに亡くし(篠原涼子さんが2歳の時!)、男で一つで3人兄妹を育てたというではないですか。大切に育てた愛娘を取られてしまうという心境に陥ってしまうのも無理はありません。

「もっと若くて娘のことをしっかり考えてくれる男性と…」

お父さんが結婚に反対するのも無理はありません。けれど、篠原涼子さん本人の気持ちが大切だということは分かったんでしょう。篠原涼子さんのお父さんは市村正親さんとの結婚に二つの条件を出すことで二人の本気度を試したそうです。

  • 1.早くに子供をつくること
  • 2.生涯娘と共に過ごすこと

その後どうなったかというと、2008年に長男を出産、2012年に次男を出産と約束通りお子さんができ、今も夫婦関係は続いています。

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市村正親さんは離婚、篠原涼子さんと新たな家庭を築く

ちなみに2003年に市村正親さんは前の奥さんと離婚しましたが、そこから篠原涼子さんの旦那として結婚したのが2005年と2年ほどかかっています。

おそらく篠原涼子さんのお父さんを説得するために、長い時間をかけたのでしょう。少しずつ少しずつ信頼を得ていくために篠原涼子さんと市村正親さんは努力をされたんだと思います。その本気度に篠原涼子さんのお父さんも認めざるを得なかったでしょうね。

自分が娘を持つ父親で、自分と同じくらいの男性との結婚を認めろと言われたら…と思うと、篠原涼子さんのお父さんの心の広さが素晴らしいと思いました。

「生涯娘と共に過ごすこと」はこれからも継続していくので、しあわせな家庭をこれからも築いていってほしいと思います!

篠原涼子の歌手時代について!

篠原涼子さんは旦那さんの市村正親さんに出会う前、歌手活動をしていたことを知っていますか?

今でこそ女優として確固たる地位を築き、今若手の女優「芳根京子」さんからも憧れの存在となっている篠原涼子さん。若い世代の方はご存知ないかもしれませんが、篠原涼子さんは歌手時代、ダブルミリオンのヒット曲を歌っていたんです!!

現在は音楽業界が不振でCDが売れない時代ではありますが、ダブルミリオンはほんの数あるヒット曲の中でもほんの一握り。

なのに篠原涼子さんの歌手だった頃の話題は全く出てこずの状態。なぜ篠原涼子さんの歌手時代は知られていないのでしょうか?様々な苦悩があった歌手時代についてお伝えしていきます!

篠原涼子のアイドル時代

篠原涼子さんの過去の活動について簡単にお伝えすると、始めから歌手をやっていたわけではなくて、アイドル⇒バラドル(バラエティアイドル)⇒歌手といった変遷をたどっているのです。

篠原涼子さんのスタートは1990年。「東京パフォーマンスドール」というアイドルグループに所属していました。

GOLDEN☆BEST 東京パフォーマンスドール

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東京パフォーマンスドールは歌とダンスをメインにした女性7人組のグループ。実はこのグループは小室哲哉さんと同じレコード会社に所属していてつながりが深く、小室哲哉さんがプロデュースに参加してからは武道館2daysコンサートをするまでになります。

篠原涼子のバラドル時代

その1年半後、バラエティアイドルとして、あのダウンタウンと「ごっつええ感じ」というコント番組で過激なコントをやるようになります。「ごっつええ感じ」では篠原涼子さんは胸をもまれたり、鼻フックされたりとやられたい放題…。

コント番組では、志村けんさんの「バカ殿」「だいじょうぶだあ」、内村光良さんの「LIFE」などでもかわいい女性タレントがコントの脇を固めることもありますが、女芸人というジャンルがなかった当時、篠原涼子さんは完全なヨゴレ役。

篠原涼子さんが体当たりのコントをやっていたなんて今では考えられませんね。。。

今の姿しか知らない方には想像もつかないでしょうが、その時の経験が今の女優としての思い切りの良さにつながっているかもしれませんね。

17歳から21歳までの多感な時期に、結構めちゃくちゃなことをやらされてた篠原涼子さんですが、トップ女優となった今でも、そのことを隠そうとしないばかりか、とっても濃い時間だったと振り返っていました。

そんな風に、飾らず自然体でいられる篠原涼子さんはステキですね。

小室哲哉プロデュースでミリオンヒット

東京パフォーマンスドールとして活動していた篠原涼子さんですが、当時の注目度はそこまで高くなく、歌やダンスなどにおいても飛びぬけた存在ではなかったのです。しかし、小室哲哉さんとの接点が彼女を大きく変えることになります。

小室哲哉さんといえば、小室プロデュースという言葉が定着するほど、1990年代に様々なアーティストを発掘し、数多くのミリオンヒットを生み出しました。

代表的なアーティストを挙げれば、TRF・安室奈美恵さん・華原朋美さんなどキリがありません。小室哲哉さんからプロデュースされたアーティストは「小室ファミリー」なんて呼ばれたりもしましたね。

さて篠原涼子さんに話を戻すと、東京パフォーマンスドールに所属しながらもパッとせず、いわばB級アイドルとしての立ち位置であった彼女でしたが、小室哲哉さんに見いだされ、ソロで歌手デビューすることになります。

それが有名な1994年の「恋しさと せつなさと 心強さと」です。

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(この「恋しさ」は「いとしさ」と呼ぶんです。紛らわしいですが(^^;))

そしてこの「恋しさと せつなさと 心強さと」は、ストリートファイターの映画の主題歌となり、先ほど述べたダブルミリオンの歴史的大ヒット曲となるんです。

歌手活動がうまくいかない苦難の時期を乗り越えて…

しかしその反動か、それ以降は目立ったヒット曲は生まれず、1994年に東京パフォーマンスドールを卒業します。翌年には小室プロデュースから離れ、歌手として、タレントとして苦難の時期を迎えます。

そのような苦しい時期にあった歌手活動と並行して女優業も行い、徐々に女優として人気が上昇。1996年のドラマ「ナニワ金融道2」で監督からすごく良かったとほめられ、女優としての活動に手ごたえを感じ始めます。

そういった試行錯誤の日々を経て、2001年、今の旦那さんである市村正親さんと出会い、女優としての地位を確立していくのです。

篠原涼子さんの歌唱力、そして歌を現在歌わない理由についてはこちらの記事を!

まとめ

  • 篠原涼子さんの旦那さんは俳優の市村正親さん。2001年の舞台「ハムレット」で二人は出会った。
  • 市村正親さんには奥さんがいて、篠原涼子さんと出会った時期と重なるが、不倫かどうかに関しては報道されなかった。
  • 篠原涼子さんと出会いから二年後の2003年、市村正親さんは前の奥さんと離婚、2005年に晴れて二人は結婚した。
  • 篠原涼子さんのお父さんが二人の結婚に猛反対。子供をつくること、生涯娘を愛することを条件に挙げた。
  • 篠原涼子さんは今でこそ女優のイメージが定着しているが、デビュー当時は歌手として活動していた。
  • 東京パフォーマンスドールにアイドルとして所属、バラエティアイドルとして体当たりのコント、そしてダブルミリオンヒット。
  • 1994年に、小室哲哉さんプロデュース「恋しさと せつなさと 心強さと」でダブルミリオンの歴史的ヒットを飛ばす。
  • しかし、以降はヒット曲に恵まれず、苦難の時期を過ごす。歌手活動と並行して女優活動も行い、旦那さんとの出会いにつながった。

いかがだったでしょうか。篠原涼子さんの旦那さんとして市村正親さんのことを知ったとき、なぜこれほどに年の離れた男性と結婚したのか不思議でなりませんでしたが、様々な苦労を経ての結婚だということを知り納得しました。

様々な困難を乗り越え、今の地位を確立していった篠原涼子さん。お仕事も私生活もどんどん充実していってほしいと思います!

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