マツコ・デラックスの本名・松井時代の絶望と親に対する葛藤。高校は木村拓哉と同じだった!

今やテレビには欠かせないマツコ・デラックスさん。

出典:http://toyokeizai.net

炎上によるイメージダウンを恐れる芸能人が多い中、マツコ・デラックスさんの本音をズバズバいう物言いは盛り上がるし、見ている側としてもスッキリしますよね。

巨漢のオネエタレントという、特殊で個性的な風貌にもかかわらず、男女問わず人気があるし、不快な思いを感じさせないというのはある意味不思議だと思いませんか?

それはマツコ・デラックスさんが単なるオネエタレントではなく、自身の同性愛に苦悩し向き合った過去があるから。

今回は、そんなマツコ・デラックスさんの本名・松井時代の苦悩と絶望から今に至るまでと、マツコ・デラックスさんの親に対する葛藤をお伝えしていきます。

マツコさん、なんとあの木村拓哉さんと同じ高校に通っていたんですよ!そのことも併せて紹介していきます。

ではさっそく見ていきましょう!

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マツコ・デラックスの本名は松井貴博、同性愛の目覚めはいつ?

さっそくマツコ・デラックスさんの本名から。

マツコ・デラックスさんの本名は「松井貴博」です。ご本人はテレビで公表する機会はありませんが、マツコさんは過去20代の頃にゲイ雑誌の編集者兼ライターとして活動していた時期があり、その時はまだ本名。

芸能界デビューする前からゲイを表に出していたマツコさん。けれども今こうやって自身が同性愛者であるということ堂々と公表するまでには数々の苦悩がありました。

同性愛の目覚めは幼少期から

同性愛に目覚める時期は人それぞれ。

少年期の頃から漫然と自覚する人もいれば、大人になって突然自覚する人もいて、中には40代になってから、という人も。

マツコ・デラックスさんの同性愛が目覚めた時期は幼少期で、なんと幼馴染の従兄弟に性的魅力を感じたそうです。

異性の先生や身近な大人に対して恥じらいの気持ちが生まれることはよくありますが、幼少期はまだ恋愛感情についてよくわからない時期。そんな幼少期に同性愛を自覚する人は少ないといわれています。

まだ人生経験の少ない子どもにとって、異性同士が好きあうのが大多数で当たり前という固定観念が浸透している中、自分自身が同性愛者だと気づかずに一生を終えることだってあります。

そんな中、幼少期の頃から自分は同性である男性を好きだということに気づいたマツコさんは、とても感受性豊かで、妙におませさんだったんだろうと想像できます。

「周りに合わせるのがつらくなっちゃったの。子供でいるのが疲れちゃって、学校の雰囲気が嫌になっちゃったの。」と、小学校時代、短い間だったが不登校になったことがあったそうです。

不登校から復帰した理由も、

  • 「なんかもう、いいやって思ったの。仲良くする必要もないし、ひとりで生きてりゃいいやって。」
  • 「学校の先生に恵まれていた。先生に会いに行くっていうところがあった。」

とかなり大人びた考え方を持っていたことがうかがえますね。

大人になっても自分が同性愛者だと告白できず、一生隠し通すという人もいる中、幼少期からそのことに気づいたマツコさんはさぞかし自分が普通でないという思いに悩んだと思います。

高校は木村拓哉と同じ高校!二人の関係は?

同性愛者を自覚し、幼少期からメイクに興味を持っていたというマツコ・デラックスさん。学生時代はどこにでもいる太った男子といった風貌です。

高校時代は、なんとあの木村拓哉さんと同じ千葉県立犢橋(こてはし)高校。

同性愛者のマツコさんは、イケメンの木村拓哉さんに恋をしたのでは?と想像してしまいますが、特にマツコさんの口からは木村拓哉さんを意識した発言はされていません。

というのも、マツコさんと木村拓哉さんは同じ高校にいましたが、木村拓哉さんは芸能活動のため、高校二年生から東京の代々木高校に転校してしまいます。

同じ学校であってもクラスが違うと面識がないことは良くありますから、当時お互い面識はなかったのかもしれませんね。

ただ、今考えると、テレビで超有名な二人が過去にニアミスしていたと思うと、なんだかすごくワクワクしますね。

実際スマップの番組でマツコさんと木村拓哉さんが同じ高校だという話題が出ましたが、木村拓哉さん、マツコさんが女装しているため、マツコさんが誰なのかまったくわからなかったそう(^^;)それもそうですよね。

お互いそれぞれのステージでこれからも活躍していくことを願っています!

美容師からゲイ雑誌編集者…マツコの苦悩が始まる

高校を卒業したマツコ・デラックスさんは、メイクに興味を持っていたこともあり、東京マックス専門学校に進学、美容師の資格をとります。

しかし、美容師として働いていた時に、「何か違う」と感じ美容師から、1994年にゲイ雑誌「Badi」の編集者に転職。1990年代初頭の頃、ゲイのアクティビスト(行動主義者)に影響を受けたマツコさんはこのように語っています。

「自分の出生じゃないけど、自分のことをちゃんと考えたことなかったなって思って。もう一回、ちゃんと見直さなきゃって思って、モノを書いたりする方に行ったんだよね。

『マツコ&有吉の怒り新党』での発言

編集者兼、ライターとして活動しだしたマツコさん。この頃の雑誌には、女装をしておらず、本名「松井貴博」名義で活動をしていました。

同性愛の広がり

マツコ・デラックスさんがゲイ雑誌の編集者に転職する頃までは、同性愛者との交流はゲイ雑誌の出会い投稿欄やバーなどといった限られたものとなっていました。

その後伝言ダイヤル・ダイヤルQ2などの普及で同性愛者同士の交流は広がりを見せ、現在ではインターネットの普及と価値観の多様性が認められる世の中となり、同性愛者に対する人々の見方は大きく変わりました。

ただマツコさんが生まれ育った頃はまだまだ同性愛に対する理解はもちろん少なく、自身の性癖について思い悩むこともかなりあったと想像されます。

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幼少期、多感な学生時代、将来の仕事・家庭を持つことを見据えた20代、それぞれのステージの中で、マツコさんはいったいどのような気持ちで毎日を暮らしていたのでしょうか。

引きこもりを経験、一歩も動けない日々が続く

20代後半になった頃、マツコ・デラックスさんは、4年間務めたゲイ雑誌「Badi」の編集者を辞め、実家に戻り、なんとそこから引きこもり生活に突入します。

引きこもりの原因はさまざまですが、仕事が見つからずに引きこもる方とは違い、マツコさんは美容師・雑誌編集者など手に職をつけていることから、自身のこと、これからのことについて思い悩んでいらしたのかなと想像します。

ただ引きこもりは長期化するとなかなか復帰するのが難しいものです。

雨戸は締めっぱなし、トイレの時間以外は全てベッドで過ごしたというマツコさん。ある日、両足で立ち上がろうとしたらなんと10分もかかったそうです。

大好きなCoccoさんの歌を大音量でかけることで何とか持ちこたえていたというギリギリの精神状態から、どのようにして社会へ出ることができたのでしょうか?

転機!中村うさぎさんとの対談がマツコ・デラックスを救った!

転機は意外なところから訪れました。

ライトノベル作家・エッセイストで有名な中村うさぎさんが、なんとマツコさんが手掛けていたゲイ雑誌時代の記事を読んでぜひ会ってみたい!とアプローチをかけたのです。

その対談から3日後、中村うさぎさんの次回出版作の対談相手として、当時まだ全く無名のマツコ・デラックスさんを指名したのです。その作品は「人生張ってます」(2001,小学館刊)

人生張ってます―無頼な女たちと語る (小学館文庫)

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その対談でマツコさん、2年間もの引きこもりで鬱積したストレスからとにかく喋りまくっていたそう。

毒舌ながらも弱い人に対しては優しく、逆に社会の矛盾に対しては怒りを露わにする。あの歯に衣着せぬ物言いは、引きこもりで一時はギリギリまで追い詰められたからこそのものだったんですね。

新宿二丁目ゲイバーの雇われママ、パン工場や建設現場で働いた経験もあるというマツコさん。これらの苦しんだ経験が今につながっているのですね。

そしてその才能を見抜いた中村うさぎさん、マツコさんに対して「アンタは書くべき人間だ」といわれ、コラムニストとして社会に再び復帰することとなるのでした。

マツコ・デラックスの誕生、オネエタレントとして瞬く間に人気者に

その後2000年頃からタレントとしても活動を始めるようになります。

オネエながら巨漢というインパクトのあるいでたちと、ライター活動で磨かれたトークスキルなどが注目を浴びるようになります。

マツコ・デラックスさんのブレイクのキッカケとなったのが、2005年からコメンテーターとして登場したTOKYO MXの人気番組「5時に夢中!」。

初登場から12年経った現在においてもコメンテーターとして番組に出演しています。

出演する番組が全てヒット、同性愛者だけでなく多くの人から愛される存在に

2009年、フジテレビで自身初となる冠番組「マツコの部屋」が放送開始。

その後も、

  • 「マツコの怒り新党」
  • 「マツコの知らない世界」
  • 「月曜から夜ふかし」
  • 「アウトデラックス」

など次々とマツコさんの冠番組が誕生し、いずれも現在まで続く人気番組に。

社会から外れた存在として悩んだであろう時期もあったかと思いますが、自身の苦しみや葛藤を受け入れ、素の自分を出していくことで同性愛者だけでなく、多くの人から愛される唯一無二の存在となったマツコさん。

自分自身の隠したい部分、負い目を感じている部分を認めることは、同性愛者だけでなく、私たちも大いに学ぶ部分があると感じました。

マツコ・デラックスの本名と親に対する葛藤

マツコ・デラックスさんの本名が松井貴博さんということは最初にお伝えしましたが、マツコ・デラックスという芸名にはどんな理由があったのでしょうか?

その理由としては、「しぐさが女の子っぽかったことから、名字の”松”に子を付けてマツコとなり、さらにゴージャス感をプラスしてデラックスを付けたことで、”マツコ・デラックス”となった」といわれています。

幼い頃から同性愛者であることを自覚していたマツコさん。そのことを両親に知られるという怖さは並大抵のことではなかったと思います。

お金を稼いでお父さんを心配させたくない

マツコさんのお父さんは、細くて小柄でマツコさんと正反対。職業は建設会社のサラリーマンで、洗濯機や冷蔵庫が壊れても自分で修理して使うという、とても堅実な性格だったそうです。

マツコさんは1972年生まれの45歳ですが、マツコさんの両親は昭和一桁台生まれ、年齢で言えば80代と結構年が離れています。

だからといって過保護に育てられたわけではなく、マツコさんがゲイ雑誌の編集者を辞めて実家に帰ったときは、「働かないやつは水、飲むな!」と厳しく怒られたそう。

お父さんには「出版関係の仕事」とは説明してあったものの、ゲイ雑誌の編集であったことは説明できなかったようで、息子がこれほどに悩んでいる心の内を理解するのは難しかったと思います。

お父さんを不安にさせ、心配ばかりかけていたマツコさん、
この時、「わかりやすくお金を稼いで、ちゃんと生きていけるって安心させなきゃ」と考えたそうです。

お母さんに自分の同性愛を知られたくない

そんなお父さんに対し、マツコさんのお母さんは、体型も話し方もマツコさんにそっくりで瓜二つだそうです。

そんな心が同性であるお母さんに対しても、自分のセクシュアリティーを明かすことはできませんでした。テレビに出るようになってからも避けるようにテレビに出演するマツコさん。

けれども、マツコさんの人気が出だした2011年、お母さんから一通の手紙が届きます。

その手紙には、腰の手術をすることの報告がつづられ、そして最後に「5時の生放送を楽しみにしています」で締められていました。

それを見たマツコさんは思わず大笑い。あれほど思い悩んでいたことが解消され、そして自分は孤独でないことを確信し、大号泣したそうです。

お母さんはマツコさんをずっと見守っていた。それが女装していたとしても変わらず。

親に対しても葛藤を続けていたマツコさんでしたが、お父さんを安心でさせるほど稼げるようになり、お母さんとの関係もよくなったようで、とても感動的ですね。

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